一個の人の命が地球より重たいと言われる理由(わけ)
子供の頃聞いたトンチ・クイズの中に「釘とクジラどちらが重い」と云うのがあった。重たいのは当然クジラに決まっているが、クイズの正解は釘になる。理由(わけ)は…釘は沈むがクジラは沈まないからとなるらしい。
いじめや家庭内暴力に耐えきれずに命を捨てる子供が増えている気がする。 勿論その子供に責任は全くないのは当たり前のことで、ここではその責任を論じるつもりはない。只 命を捨てるのは【勿体無い】と、声を大にしていいたい。
例えば人体を構成している肝臓一つを取ってみても、その働きは物質の代謝・解毒・胆汁の生成と多岐にわたり栄養を蓄える倉庫の役割まで果たすらしい。この肝臓の働き・機能に見合う工場を人的に作るとすれば京浜臨海部全てを埋め尽くしたとしても足りないと聞いたことがある。人体を構成するほかの臓器・働きを加えると一個の人間に見合う工場を作るとすれば恐らく地球上すべてを埋め尽くしたとしても足りない。ひとりの命を失うと言うことはこの工場を全て捨て去ることに等しいと、勿体無いと思えてならない。
悩み、苦しみぬいての結論であろうとは思うが、今一度違う角度から見ていく事も大切だと伝えたい。コロナ問題で結論を出せない政府とは真逆で、今出す結論をとりあえず一日延ばしても誰にも迷惑はかからない。一度しかない命であれば尚のこと、急がず急がず今日を大切に大切にしていきたいと願う。