㉗親孝行
中国の昔し話しに、親孝行選手権と云うのがあった。山奥の小さな村で、年に一度開かれるこの大会では、一位と二位は常に指定席で決まっていたそうで、二位の青年はどうしても一位の青年に勝てなかったらしい。彼はその秘密を知りたいと一位の青年の観察を始めた… 結果、彼は村長の家へ怒鳴り込んでいった。二位の青年曰く「一位の青年は仕事から帰ると、土間に母親を膝間づかせ、靴を脱がせてもらい、足まで洗わせている。私は、恐れ多くて、母がいくら頼んでもそんなことは一度もさせたことはない…なのになぜ自分が劣っているのか、二番なのか」と。村長曰く「親のやりたいようにさせてあげる。其れが真の親孝行と云うもので、やりたい事をさせてあげない貴方は、だから一番になれないだ」と。 子育て・教育全てに当てはまる、考えさせられる深い深い昔し話だと思う。
㉖若気の至り
若気の至り
広辞苑によると、年が若くて血気にはやった為無分別な行いをしてしまう事。失敗や恥を意味する表現と有る。 言い訳をするつもりはないが、長いこと人間をやっていると一度や二度の「若気の至り」は、当然のように持っているのがむしろ正常だと言える。
私の場合一番大きな「若気の至りは」50年ほど遡る。当時は「70年安保」と云う一代政治イベントがあって、若者は乗り遅れまいと必死な時代だった中で、私も例外なく入りこんでいた。きっかけは後付けになるが、アパートと職場を往復する伝書鳩の様な日々に嫌気がさしていたんだと言い訳してみる。
勿論、その当時は一生懸命考えて出した結論だと信じてはいたが…??? 後悔しているわけではなく今にして思えばかなり自分に酔っていたとしか説明のしようがない。 無分別はゴミ屋敷を作るに等しい行為で、真剣であればあるほど周りへの迷惑度が大きい事になるし、結果その先の人生を失った仲間も沢山見てきた。 だからイコール不幸ということにはならないが…。
当時を揶揄った川柳に「職場に行けば社会党、家に帰れば自民党」と云うのがあった。人はその時々で様々な変化をするという事なんだろう。作家 池波正太郎は【鬼平】の中で「人間というものは、良い事をしながら悪い事もするし、悪い事をしながら良い事もする」と書いている… 言い得て妙だと言えなくもない。
「人生は100間違いを起こしても、一つでも正しい事を積み重ねていくことが大切なんだ」と、諭してくれた言葉を思い出す…
若いころ聞く耳を持たなかった私が、今子供たちに何かを伝えたいと思うのは「天に向かってツバする行為」に似ているかもしれないが…「思い立ったが吉日」と自分に言い聞かせて前に進んでいこう。
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