⑧新型コロナ感染拡大に思う
新型コロナ感染拡大に思う。
未知のウイルスの脅威が、営々と築き上げてきた現代社会をズタズタにしていく様を目の当たりにすると、只々呆然と眺める事位しかなすすべがない。もっとも第一線で向き合わなければならない方々にとってみれば、想像もつかないご苦労の中に放り込まれていることだろう… し、全ての産業・職業に甚大な被害をも及ぼしている。
感染症の拡大は人類にとって確かに未知の恐怖・脅威ではあるけれども、克服できないものでないことは、誰しもが心配していない。唯一心配なのは、時々にこの国の舵を取るリーダー達の無能さではなかろうか?? 人は極限の中で真価が問われる事は、今も昔も変わらない。何かあった時こそ真価が問われるし、本性が現れる。今、国のリーダーと言われる人たちに手本となる様な行動がどれほど見られるというのだろうか(今まさに国会は夏休み期間らしい)…そのことが大いに心配だ。
こどもは、親や大人の姿・行いを見て育つ、見方を変えれば子供たちが育たないのは大人の責任だとも言える。都会の若者たちもこども達から見れば、大人の部類になる。自分は重篤にならないからとか、好きなことをしてかにが悪い日本は自由の国だとか、覚悟の上だとか、勝手なことを言っている若者と称される人種の姿を子供たちはしっかり見ているんだと知って欲しい。昔、【植木等の日本無責任時代】と言う映画があったけど、本当に無責任のままで許されるんだと思っているのであれば大きな勘違いと言わざるを得ない。どうも私には、自由と無責任(身勝手)の区別がついていない様に見える。遊ぶ事も人生を楽しむ事も大いに結構だが社会の一員としての責任・最低限人に迷惑をかけないことを心がけて欲しい。 自由の名のもとに放し飼いにするのであればどこかの国の総理夫人となんら変わらない。
「とんがりぼうし」と言う歌がある。二親のない幼い戦争孤児が、力を合わせて生きて行く施設を唄ったものである。大戦後半世紀が過ぎて、忘却の彼方へ押しやった方々も沢山住んでいる此の社会・日本。国難と言われる感染症の克服には既に国難を乗り越えてきた経験を持つ我々の知恵が、今何が必要なのか改めて考えさせられる。
⑦指導者の資質
指導者の資質
資質とは、デジタル大辞泉によると生まれつきの性質や才能となり。もって生まれた人となりと言う事らしい。隠しきれない本性と言う事かな???
幕末 大西郷の家へ坂本龍馬が泊まった時の話として、あまりのあばら家に奥さんが恥ずかしがって、せめて雨漏りでもしない程度に直してくれるよう西郷に言ったところ「今は国の雨漏りを治すのが先で我が家はマテ」と答えたと、司馬遼太郎は【龍馬がいく】の中で記している。
150年たって。日本国の指導者はとりあえず誰かと問われたら、「とりあえず阿部ちゃんじゃない」と答えるしかないのがだんだん悲しくなってくる。野党に突っ込まれるたびに感情むき出しにして逆切れする阿部ちゃん、貴方を見ていると【少年時代】と言う映画を思い出す。何の苦労も知らずに人の痛みもわからず、気ままに育てられた村長の息子の少年にダブってしまう。自己中心で自分の周りだけ大事にする姿は阿部ちゃんがモデルかと見間違う。 ノー天気な女房に苦労していると阿部ちゃんは思うかもしれないが、それは自業自得と言って、自分で招いたことなのです。阿部ちゃんの取り巻きの国会議員を見ても【少年時代】の取り巻き少年たちに重なる。主人公を除けば、あの映画は阿部ちゃんの自叙伝かなと思ってしまう。
指導者の資質で大切なのは、自分の行いに責任が取れるかということで、口では「私に責任があります」と軽く言っても、責任らしきものをとった姿をとんと見た事がない。言うだけならうどん屋の釜と同じ、うどん屋の釜の方がまだましかも。
未来に向かう子供たちの為にも、このまま何もせず一日も早い退場を心から願っている。
⑥一個の人の命が地球より重たいと言われる理由
一個の人の命が地球より重たいと言われる理由(わけ)
子供の頃聞いたトンチ・クイズの中に「釘とクジラどちらが重い」と云うのがあった。重たいのは当然クジラに決まっているが、クイズの正解は釘になる。理由(わけ)は…釘は沈むがクジラは沈まないからとなるらしい。
いじめや家庭内暴力に耐えきれずに命を捨てる子供が増えている気がする。 勿論その子供に責任は全くないのは当たり前のことで、ここではその責任を論じるつもりはない。只 命を捨てるのは【勿体無い】と、声を大にしていいたい。
例えば人体を構成している肝臓一つを取ってみても、その働きは物質の代謝・解毒・胆汁の生成と多岐にわたり栄養を蓄える倉庫の役割まで果たすらしい。この肝臓の働き・機能に見合う工場を人的に作るとすれば京浜臨海部全てを埋め尽くしたとしても足りないと聞いたことがある。人体を構成するほかの臓器・働きを加えると一個の人間に見合う工場を作るとすれば恐らく地球上すべてを埋め尽くしたとしても足りない。ひとりの命を失うと言うことはこの工場を全て捨て去ることに等しいと、勿体無いと思えてならない。
悩み、苦しみぬいての結論であろうとは思うが、今一度違う角度から見ていく事も大切だと伝えたい。コロナ問題で結論を出せない政府とは真逆で、今出す結論をとりあえず一日延ばしても誰にも迷惑はかからない。一度しかない命であれば尚のこと、急がず急がず今日を大切に大切にしていきたいと願う。
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