【法に基づく自由で開かれた国際社会】
ロシアのウクライナ侵攻以降、よく使われる言葉に「法に基づく自由で開かれた国際社会のルールづくり」というのがある。
ここでいうところの「法」とは、一国にあっては憲法であり世界にあっては国際法の遵守と云う事にほかならないと考えられる。
人が支配する社会ではなく、法が支配する社会が最初に唱えられたのは、2,500年ほど前の孔子の時代だと云われ、国家として目指したのは、秦の始皇帝だと云われている。
「人は信用できない」と揶揄され、囁かれるのは、家庭では優しいおじいちゃんがある日突然虐殺者に豹変すると云う話はよく聞く話で、プーチンも例外ではなかったと証明しただけの話である。
権威主義国家の代表格がロシアと中国で、ここでは【法】よりも【人】が支配する高崎山のボス猿国家に似ていて、哀れにすら思える。
「歴史に学ぶ」という言葉があるが、500年続いた「春秋戦国時代」を終わらせるキッカケを作ったのは【法】が支配する社会の方が、公平、公正でより良い住よい社会だと信じた結果だと云える。
日本人は誰ひとり、ひと昔前の「法の上に支配者のいる」権威主義国家の再来を望む者はいないと思うが、議員や官僚機構、警察権力の中には、自分の方が上だと勘違いしている輩がいることも事実である。
此の勘違い人を生み出さない為には教育が大切で、遵法精神や人の尊厳、公平・公正精神や思いやり精神を幼い頃からいかに沁みこませる事が出来るかどうかにかかっていると強く主張したい。
自分も含めて、虐げられている弱い立場の声なき民衆を救い、悲惨な戦争を収束できるのは人間自身でしかなく、出来ないのは結局のところ愚かな指導者が凝りもせず次から次に生まれて来る土壌があるからに他ならない。
家庭教育・学校教育は、悪が生まれる土壌を断つという意味で、人間社会にとって重要だと云える。