【喉元過ぎれば熱さを忘れる】
日本国憲法前文には、「全世界の人々が等しく、恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。われらはいずれの国家も自国の事のみに専念して他国を無視してはならず、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則にしたがうことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする、各国の責任である。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」とある。
戦後憲法は一部に「戦勝国に押し付けられたもの」との声もあるが、当時の幣原喜重郎首相の発案で、マッカーサー元帥と合意した記録は国会図書館に保存されている。
たしかに、戦勝国の思惑は有るものの、第2次世界大戦で疲弊し、荒廃した世界を目の当たりにした時、再び戦争を引き起こしてはならないと云う当時の指導者たちの願望が込められた理想の在り方が日本国憲法に込められていると解釈できる。
ロシアがウクライナに戦争を仕掛けている現在、「だから日本も武装強化」だとか「やれ核武装」だとか論議が飛躍している様だが、今一度日本国憲法前文に立ち返る時ではないだろうか。
日本国民は、恥と名誉を重んじる国民だと自他共に認める国民であるなら、世界が崇高な理想とした日本国憲法前文をかざして如何に立ち向かわんとしているのかが問われているのではないだろうか。戦後70年を過ぎて、そぞろ戦争でもしたくなったと云うことなのか。
遵法国家を名乗り、国民に遵法精神を求めるのであれば、「理想と現実は違う」とか「政治とは簡単なものではない」とか、屁理屈を述べて問題をすり替えるのではなく、国会議員自らが先ず手本を示すべきではないだろうか。
参議院選挙も近い、選挙目当ての公約には、へきえきしている昨今である。